大相撲の横綱が引退!その後は!

大相撲の第72代横綱稀勢の里が2019年大相撲初場所4日目の1月16日、現役を引退することを決めました。日本人横綱がいなくなるのは寂しいですが、引退後の第二の人生も頑張って欲しいものです。大相撲を引退したあとの力士のその後について調べて見ました。

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スポーツ選手の引退後は

大相撲の力士だけでなく、スポーツ選手は引退後ごのような人生を送っているのでしょうか?

大リーガーのイチロー選手は別にして殆どのスポーツ選手は20代、30代で引退していきます。

40代まで頑張って引退される選手もいますが、体力、技術の衰えは避けられない状況です。

なので、一般のサラリーマンと違い、第二の人生が長いし、逆に第二の人生が本業見たいな方もいると思います。

それでは、どのような仕事をされているか見て見ましょう。

■元ロッテの正捕手で、4番も務めた橋本将

現在、上野御徒町で海外の人気シューズブランド「アイラブフラット」のフランチャイズ店を経営しているようです。「友人の勧められて経営に携わっているが、特に靴やファッションに興味があったわけでもない状態からのスタートなので」とのことです。

■元Jリーガーの阿部祐大朗

好きなファッション雑誌を出している出版社。広告代理店や環境関連の会社、塾の講師など、いくつも受け、なかなか採用には至らず、就職先が決まったのは、就活を始めてから3ヵ月が過ぎた頃。ブライダル事業を扱う企業に、ウエディングプランナーとして勤めることが決まった。

■元楽天、クローザー福盛和男

現在、叔父が経営する携帯電話の販売・修理会社で、取締役を務めている。企業での社会経験もなく、業種、業界のノウハウもない人間がいきなり役員では反感もあった見たいです。未だに仕事は楽しいとは思わないとのコメントもありました。ただ、偉いのは「家族だけはしっかり食べさせてやらないといけない。」と踏ん張っているようです。

■元中日、清水清人

’98年にドラフト8位で中日に入団、05年に戦力外通告され引退。地元島根で一本釣り漁師をしている父親から誘われ26歳という若さで地元に戻り、漁師の仕事を継ぐことにしたそうです。今ではすっかり漁師の仕事が板についているとか。

■元西武、2年連続のゴールデングラブ賞を獲得した高木大成

西武の球団職員を経て、プリンスホテルに勤務。約6年間、球団職員として働き、プリンスホテルへの異動が言い渡され、マネージャーとして企画広報に携わり、プロモーションや催事関係などの業務を行っているとのことです。

■元巨人、財前貴男

’11年に育成ドラフト5位で巨人へ入団。ケガに泣かされ、一軍での出場経験を得られないまま、’12年に戦力外通告を受け引退。つくば市にあるデイサービス桑林で、デイサービスでヘルパー見習いとして働いている。ケアしているのは、車いすや寝たきりの老人およそ30人。風呂やトイレの介助、おむつの交換などが主な仕事だ。

■元プロバスケットボール選手の山崎哲男

’06年に地元チームの高松ファイブアローズに入団。外国人選手に太刀打ちできず、ほとんど試合に出られないまま、’07年に戦力外通告を受け引退。コネで高松市内の不動産管理会社に就職し、30歳を目前で退社、猛勉強して香川県警の採用試験に挑戦し合格。現在は県内屈指の繁華街を守る交番勤務。

■元阪急ブレーブスの高井保弘

代打本塁打数の世界記録を保持37歳で引退。37歳から44歳まで兵庫の西宮で飲食店を経営。体調を崩して閉店。その後は、整体治療院を開業。開業の翌年、阪神淡路大震災が発生し店舗が入っていたビルも自宅も壊滅。数年定職に就かず52歳から就活しビル管理会社への就職。伊勢丹のホールのセキュリティ担当に従事。

プロの選手として活動してきたプライドもあるでしょうし、ある程度年齢が行ってからの未知の世界へ飛び込む形になりますし、しかもサラリーマンともなると厳しいでしょうね。

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大相撲での引退後はどうなの?

大相撲を引退した力士の第二の人生はどうなのでしょうか。

野球選手やサッカー選手などと違いがあるのでしょうか。

大相撲を引退した力士は大きく分けて3つの職業に就くと言われているそうです。

一つ目は飲食業、二つ目は介護関係、三つ目は整体関係とのことです。

■元小結 海鵬

日大相撲部から1996年1月、幕下付け出しで初土俵。幕内を49場所務め、2010年7月場所中に引退。年寄・谷川を襲名し八角部屋で後進の指導に当たっていたが、2011年の八百長問題の際、現役時代に八百長相撲に関与していたとされ解雇。現在は加圧トレーニングジム「Bear’s studio」を経営し、自らもインストラクターとして指導している。

■元幕下 若鷲

1975年11月、高校在学中に大相撲の出羽海部屋に入門。1987年1月場所引退。最高位は幕下34枚目。引退は柔道整復師の資格を取得。1990年より力士のトレーナーとなり、1992年に日本相撲協会がトレーナー制度を導入したことに伴ってチーフトレーナーとなる。2006年東京・両国に中元整骨院を開業。

■元小結 三杉里

1979年1月場所、大相撲の二子山部屋より初土俵。うっちゃりで逆転することも多かったことから「三杉里マジック」といわれていた。小結まで昇進し1998年7月場所11日目、通算700勝を達成したのを機に引退し、準年寄として相撲協会に残った。その後年寄浜風を襲名し、間垣部屋で後進の指導に当たっていたが、2006年11月に協会を退職した。退職後は国際総合健康専門学校に通い、さらに中国に留学して中国の伝統医学を学ぶ。2008年、東京・中野に「健康回復館 三杉里のごっつハンド」を開業。2011年には新橋に2号店をオープン。

■元小結 花乃湖

1976年5月場所、大相撲の花籠部屋に入門。幕内在位26場所で最高位は小結。1989年7月に引退し年寄花籠を襲名したが、1990年6月に引退。郷里の秋田でちゃんこ店を経営していたが閉店し、現在は北海道南幌町で「プラザホテル二合半」を経営。

■元十両 彩豪

平成3年3月、15歳で大相撲の中村部屋に入門。20歳で十両昇進を果たしたが、肘や首などの怪我に見舞われ、平成17年1月場所限りで引退、最高位は十両5枚目。引退後は実家の工務店で働き、平成22年7月に独立、建築工事会社「墨ホーム企画株式会社」を設立した。本業の建築工事業のほか、埼玉県内で行われる大相撲の巡業の勧進元を務めている。

■元幕内 藤ノ川(服部)

東海高校では柔道で活躍、同志社大学進学後に相撲を始め、学生横綱2回、アマ横綱2回など17タイトルを獲得し、アマ史上最強と言われた。昭和58年3月、大相撲の伊勢ノ海部屋から幕下付け出しで初土俵。1年後には新入幕を果たしたが腰痛に苦しみ26歳の若さで引退。最高位は前頭4枚目。引退後は会社員、母校東海高校の事務職員を経てフランスの日本人学校の教師となった。帰国後筑波大学でコーチ学を学び、現在は東海学園大学で教鞭を執っている。また、大学に働きかけて相撲部を創設し、監督を務めている。

■元三段目 琴剣

昭和51年3月、中学卒業と同時に大相撲の佐渡ヶ嶽部屋に入門。現役時代からスポーツ紙にイラストを掲載されていた。相撲では関取になれず、61年9月場所限りで引退。最高位は三段目46枚目。引退後は兄弟子が営んでいたちゃんこのお店で修業。独立して千葉県船橋市にちゃんこ店を開店するも奥様が病気で倒れて7年で閉店。その後、漫画を描くことを決意。漫画家としての活動を開始。日本相撲協会公認漫画家。

■元序ノ口 森武蔵

1983年3月、中学卒業と同時に大相撲の武蔵川部屋に入門したが、半年ほどで引退。大相撲を引退後、落語家を志し、三代目・三遊亭圓歌に入門した。1998年3月真打昇進を果たし、三遊亭歌武蔵として現在も活躍している。

■元関脇 隆乃若

1992年3月、中学卒業と同時に大相撲の鳴戸部屋に入門。190cmの長身を生かした突っ張りや右上手投げを得意とする相撲で活躍したが膝などの怪我に悩まされ2007年9月場所限りで引退。最高位は関脇。草野仁事務所に入りタレント(尾崎勇気)として活動。

■元序二段 綱ノ富士

平成7年9月、18歳の時に大相撲の朝日山部屋に入門したが、翌年9月に引退。最高位は序二段99枚目。引退後俳優(白川裕二郎)になり、テレビ、舞台などで活躍。

■元序二段 和歌桜

平成5年3月、中学卒業と同時に大相撲の中村部屋に入門。体が大きく成績も悪くなかったが、体調を崩して半年後の9月場所限りで引退。最高位は序二段163枚目。力士を辞めた後は漁師、トラック運転手を経て松竹芸能に入り、安田大サーカスのHIROとして活躍。

■元序二段 陸奥龍

高校を中退して1979年9月場所、大相撲の安治川部屋に入門。最高は序二段33枚目。1981年に引退。相模原市青少年指導員などを経て2007年4月に相模原市議会議員選挙に出馬し初当選。

■元序二段 木村山

中学卒業後、大相撲の宮城野部屋に入門。1969年7月場所、初土俵を踏むも1年ほどで引退。最高位は序二段30枚目。引退後はプロレスラーに転身し、日本プロレス→新日本プロレスで活躍し2003年4月に引退。現役中の1998年に参議院選挙に出馬するも落選。2011年に品川区議会議員選挙に出馬し初当選を果たした。

■元横綱 曙

アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島ワイマナロ出身で東関部屋に所属し第64代横綱(外国人初の横綱)となる。現役引退後は曙親方として東関部屋で後輩の指導をしていたが、東関親方との関係や日本相撲協会の体制ややり方に不安を抱き、2003年11月5日、日本相撲協会に退職願を提出し受理され、翌11月6日に格闘技K-1参戦が発表された。のちにプロレスラー、総合格闘家、タレントに転向。格闘技・プロレス分野では曙(あけぼの)のリングネームで活動している。2013年、東関部屋に招聘されて以降、師範代をつとめる。

■元幕下7枚目 東桜山

初土俵 1999年1月、2007年9月に引退。引退後はケーブルテレビの番組を制作する会社に就職。それからスーパーマーケットに転職し、起業して、現在はWEBページを制作する会社やりながら、引退後の力士たちの受け皿になればと思い、浅草で友人とちゃんこ鍋屋を営む。

大相撲の横綱は引退後はどなるの?

稀勢の里は現役引退後、荒磯親方となり次の横綱を目指す若手を育てる立場になりました。

力士が引退した後、親方になれるのはどれ位いるのでしょうか?

親方になるには年寄株と言われる年寄名跡を所持しており、かつ日本国籍を有していなければならない。そのほかにも、いくつかの条件がある。

年寄名跡とは、日本相撲協会の「年寄名跡目録」に記載された年寄の名を襲名する権利。

通称 年寄株、親方株とも呼ばれており、現役を引退した元力士が協会の正規の構成員になるには年寄になる必要があり、この年寄名跡の定員は105と数が決められています。

稀勢の里は年寄「荒磯」を襲名したため、その名前を冠した荒磯親方になる。

現在46ある相撲部屋の師匠は、その部屋の名前と同じ年寄名跡を取得している。そして部屋の師匠以外にも親方はいる。それが部屋付きの親方だ。荒磯親方は自分の部屋を持っていなので、田子ノ浦部屋の部屋付き親方となっている。

本人の意思も当然あるでしょうし、最近の横綱のように日本国籍がなければ、親方になりたくてもなれないですからね。

かなり遡って歴代の横綱を見て見ると以下の通りです。

52代 北の富士勝昭

53代 琴櫻傑將

54代 輪島大士

55代 北の湖敏満

56代 若乃花幹士

57代 三重ノ海剛司

58代 千代の富士貢

59代 隆の里俊英

60代 双羽黒光司

61代 北勝海信芳

62代 大乃国康

63代 旭富士正也

64代 曙太郎

65代 貴乃花光司

66代 若乃花勝

67代 武蔵丸光洋

68代 朝青龍明徳

70代 日馬富士公平

72代 稀勢の里

こう見ると、殆どは親方になっており、一部の方はプロセスラーや格闘家になってます。

モンゴル勢は実業家?ですかね。

引退後に親方になるメリットは?

親方は相撲協会の職員なので給料が支払われます。親方は最も下の階級の「年寄」でも年収およそ1200万円。

定年が65歳なので順当にいけば30代で引退しても、30年間も安定して1200万強の給料がもらえるのだ。

年寄株はどうすれば手に入るのか。

一昔前までは、親方が有望な弟子や、自分の娘と結婚させて婿に後を継がせるという“世襲制”による無償の譲渡が採られていたが、その後、年寄株が売買されるようになり、一時は億単位まで高騰した。

こうした売買は協会が実態を把握できない不透明なものだったので、公益財団法人への移行に伴い、協会が年寄株の名跡証書を一括管理し、売買は禁止された。

実態としては“伝統”を変えていないのです。過去に高額な金銭で取得した親方への救済策として、年寄株を譲る後継者を指名して、“顧問料”を受け取ることが認められているようです。

<日本相撲協会の給与>

平年寄    1236万円

主任・参与  1314万円

委員     1527万円

副理事・役員 1850万円

理事     2093万円

親方でも部屋を持っている親方と部屋がない部屋付き親方がおり、現在の親方の半数以上が部屋付き親方となっております。

部屋付き親方は親方のサポート役として力士を指導する立場ですが滅多に稽古に姿を見せない人もいようです。

部屋を興すのに必要な資金は3億円とも5億円ともいわれるので、資金的に厳しいこともある見たいです。

各界のスポーツ選手の人口を見ると、どのスポーツ界が良いか分かりませんが、サッカー選手や野球選手は競技人口も多いので、引退後は非常に厳しい状況ではないでしょうか。

その点、大相撲は相撲協会があり、全てではないですが受け皿があるような気がします。

いずれのスポーツ界でも、現役時代に全力で極めれば、次が開けるのではと思います!

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