驚き!相撲はいつから始まったのか?

相撲も新型コロナウイルスの影響でしばらく延期されてましたが、ようやく一部観客を入れての取り組みが開催されました。長い歴史のなかでこのような事態が起こるとはだれも予想してなかったでしょうね。だけど、そもそも相撲はいつから始まったのでしょうか?簡単ですが調べてみました。

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スポーツ自体はいつから始まった?

人類が誕生してからどの様にして始められてのか、文字がない時代にまで遡ると記録がないのが正直なところらしいです。ただ、フランスのラスコー洞窟や、アフリカ、オーストラリアなどには、3万年以上前の先史時代の洞窟壁画があり、 その壁画から読み取ると当時スポーツに類似したものがあったのではとのことです。

一説によると、その時代の狩りと採集活動に費やす時間は1日平均3時間であり、残りを余暇の時間に当てていたと考えられおり、その余暇の時間で狩猟に使われた道具を活用し、その技をお互い披露しながらやがて競い合ってそれが発展したのではとのことでした。

ちなみに、先史時代とは現在の人類とほぼ同じ骨格である新人が誕生した、4万~1万年前のことである。昔は狩りをして生活していましたが、文字などなかった時代ですから、絵を書いて記録を残していたのでしょうね。

凄い歴史ですよね。猿人が誕生したのが500万年前ですから、それから、原人・旧人・新人と進化して現在に至るわけですね。

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古代のスポーツの始まりは

古代では各地で古代文明が出来あがり、色々なスポーツが生まれたと言われてます。

古代エジプトでは宮廷の娯楽としてのショースポーツが盛んになり、 紀元前2100年ごろのベニ・ハッサンの壁画には400種類以上のレスリングが描かれており、このほか、重量挙げ、跳躍運動、弓矢による狩猟、ボールを伴った儀礼などが描かれているそうです。

古代ギリシャでは、すでに広範囲にわたって、レスリング、競走、ボクシング、やり投げ、円盤投げ、戦車競走など多くのスポーツが行われていたらいです。

文明が出きたのも早いですが、スポーツも早くから行われていたのですね。

紀元前1700年から紀元前1400年ごろのクレタ島では戦車競技やレスリング、ボクシング、ダンス、雄牛跳び、狩猟などが行われていた。

紀元前1600年ごろのミケーネでは戦車競技、弓射、やり投げ、乗馬、雄牛跳び、狩猟、球戯などが行われていた。

紀元前8世紀には、ペロポネソスのオリンピアで4年毎に競技会が開かれた(古代オリンピック)。

古代ローマでは、ギリシャでのスポーツ大会に興味をしめさず、運動は軍事訓練の目的として行われており、その後はスペクテータースポーツが発達し、コロッセウム等の円形闘技場が建設されたとのことです。

本格的なスポーツはイギリスから?

古代のスポーツはどちらかと言うと、娯楽や遊び的な形で行われていましたが、本来の「スポーツ」へ進化したのは、イギリスで始まったようです。

1618年、英国王ジェームズⅠ世は『ブック・オブ・スポーツ』(遊戯教書)と呼ばれる布告を出し「罪のないスポーツ」への「妨害」「抑圧」を禁じた。

1835年にはフットボールなどのゲームで通行に支障を与えた場合、罰金を科すことが定められた。

殴なぐり合いはグラブをつけて行うボクシングに変化していったとのことです。

19世紀にはパブリックスクールの生徒とオックスフォード、ケンブリッジ両大学の学生、OBの間で決まり事や安全性を考慮したルール化が出来上がってきました。

1863年にサッカーの組織化を指導。1857年登山、1866年陸上競技、1869年水泳、1871年ラグビー、1875年ヨット、1878年自転車、1879年スケート、ボート、1884年ボクシング、1886年ホッケー、1888年テニス、1895年バドミントン、1898年フェンシングなどが組織化されました。

世界のスポーツの歴史は長いですね。サッカーが一番歴史があるとは思いませんでした。

日本のスポーツはいつから始まった

日本では行事として宮中で行われた射礼、蹴鞠。仁徳天皇の時代から盛んになった鷹たか狩りなども人気があったそうです。

武士が心身を鍛えるものとして発達した武芸もあります。

流鏑馬 、笠懸、弓矢、剣、槍やり、棒など道具を使った武術、柔術や相撲は格闘技としての武芸、水泳では甲冑 をまとった泳法などが発達。これら武芸には師範が現われ、流儀・流派も形成された。

その後、明治政府に招かれた「外国人教師」たちが語学や欧米の学問を教えるかたわら、余暇の活用や趣味としてのスポーツを持ち込み発展につながったようです。

日本も他国と一緒で初めは普段の生活の中での行動や娯楽が発展して、競技と言う形になったのですね。

日本から始まったスポーツで言うと、柔道、剣道、空手、相撲などが有名ですよね。

相撲はいつから始まった?

相撲はいつから始まったのでしょうか?

国立霞ヶ丘競技場の上部に飾られていた「栄光(勝利の女神ニケ)」の隣にいある「勝利(野見宿禰)」が始まり?

と書くと意味不明ですが、

日本書紀によれば、垂仁天皇の命で野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹴速(たいまのけはや)が闘い、野見宿禰(のみのすくね)が蹴り合いのすえに蹴速の腰を踏み折って勝利したという。これが相撲の起源とされ、両者は相撲の始祖となっているそうです。

最も古い記録は712年に書かれた『古事記』に登場する、神様同士の力比べです。

天津神の建御雷神(タケミカヅチ)と出雲の建御名方神(タケミナカタ)が力比べの勝負をしたことが相撲の始まりだとされており、この時に勝ったタケミカヅチは相撲の元祖とされているそうです。

相撲は、古事記、日本書紀(記紀)の時代から力くらべ、武芸として行われてきました。

その後は、毎年の農作物の収穫を占う祭りの儀式として行われ奈良、平安時代には神事や宮廷行事になったいったそうです。

鎌倉時代から戦国時代になると武士の戦闘のための訓練として相撲が行われるようになりました。

特に相撲愛好家として有名な武将は織田信長ですね。

織田信長は元亀・天正年間(1570~92年)に安土城などで各地から力士を集めて上覧相撲を催し、相撲大会で活躍した力士たちには家臣にしたそうです。

織田信長の重臣たちも、自身の自慢の力士たちを相撲大会に出場させて盛り上げていたそうです。

やはり、織田信長と言う人は改革派と言うか新しいものを取り入れる事に長けていたのですね。

江戸時代に入ると単なる行事ではなく、相撲を職業とする人たちが現れ、全国で勧進相撲が行われるようになりました。これは寺社が建立や移築のための資金を集める興行として行うものであったそうです。

この頃の相撲は土俵はなく「人方屋」という見物人が直径7 – 9mの人間の輪を作り、その中で取組が行われたそうです。

江戸中期の1789年頃には二代目・谷風梶之助、小野川喜三郎、雷電爲右衞門が登場し、征夷大将軍徳川家斉観戦の1791年上覧相撲も行われ、この頃から江戸相撲が大いに盛り上がったそうです。

江戸相撲が京都や大阪へ出向いての合併興行(大場所)も恒例としてほぼ毎年開催されておりました。

幕末には「相撲VSレスリング」や「相撲VSボクシング」の異種試合が行われた事もあったそうです。

この頃から異種格闘技があったなんて驚きです!

明治維新と文明開化に伴い、1871年東京府のいわゆる「裸体禁止令」により東京相撲の力士は罰金、鞭打ち刑に処された。

相撲禁止論が浮上したが、自らも相撲をとることの多かった明治天皇 および その意を受けた伊藤博文らの尽力により、1884年に天覧相撲が実現され、大相撲が社会的に公認されることになった。

昭和戦前から戦後初期では、1927年東京相撲協会と大阪相撲協会が解散し、大日本相撲協会が発足し、本場所は1月(両国)、3月(関西)、5月(両国)、10月(関西)の計4回:11日間で開催されるようになる。

この時期、勝負に関する様々な改定が行われ、1928年からラジオ中継が始まった事もあり、仕切り線と仕切りの制限時間が設けられたり、個人優勝制度など勝負を争うスポーツとしての要素が強くなった時期である。

69連勝を記録した双葉山の影響で興行日数は1937年5月場所より13日間となり、1939年5月場所より15日間と移り変わる。

昭和戦後になると1949年日本橋の浜町公園内に仮設国技館(木造)を建設したが公園内に設置されていたことが問題となり、2場所しか使用されず取り壊しとなったそうです。もったいない。。

戦前に次期国技館建設用に用意していた蔵前の土地に仮設国技館を建設することとなり、蔵前仮設国技館の鉄筋化が進み、5か年計画として完成へ向け改装されていったそうです。

栃錦と初代・若乃花の栃若時代が到来し、年間の場所数が増えていき、1957年には11月場所、1958年には7月場所を行うようになり、現在のような6場所(1月、3月、5月、7月、9月、11月)、15日間という体系になりました。

1965年1月場所からは完全部屋別総当たり制が実施され、現在の取り組み方法になりました。

日本の相撲は1000年以上前から始まっており、非常に歴史が古い事が分かり驚いております。

日本の伝統とも言える相撲をこれからも大いに盛り上げて行きたいですね。

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