遠藤聖大のお父さんはすごい

大相撲界を問わず最近の各種スポーツ界では若い選手がすごく頑張っている感じがします。世界に通用するような選手が出てきて将来が非常に楽しみですね。当然、昔に比べて体格も違いますし、トレーニング方法も違うと思います、また、日本自体もグローバル化し外国人の親を持つ選手なんかも増えてきている感じがします。ただ、それ以前に親の関わり方も本人に大きく影響を与えるのではないかと思います。そこで今回は大相撲界のホープ遠藤聖大のお父さんに注目したいと思います。

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最近活躍している選手のお父さんは外国人

夏の甲子園をにぎわした関東第一高のオコエ瑠偉選手や世界陸上で活躍した東京・城西大学付属城西高校2年の短距離ランナー、サニブラウン・アブデル・ハキームなどが記憶に新しいところではないかと思います。その他の選手も含め調べて見ましたので紹介します。

2015年夏の甲子園で行われている高校野球の選手、関東第一高のオコエ瑠偉外野手。東東京大会決勝の日大豊山戦に1番センターで出場し、3安打2盗塁3得点と大活躍し勝利に貢献、観衆の度肝を抜くプレーを見せたのは、センター前のヒットを打ったのだが、1塁で止まらず2塁まで行ってしまったのだ。オコエはナイジェリア人の父と日本人の母を持つ。こんなプレーができるのも、50mを5秒96で走るずば抜けた身体能力と、大事な決勝でも型にはまらず思いきりチャレンジできる野性味がある。オコエ選手は走攻守の三拍子そろっており、プロのスカウトも注目する逸材。

オコエ

2015年夏の世界陸上に出場したサニブラウン・アブデル・ハキーム選手。サニブラウン選手はガーナ人の父と日本人の母を持つハーフである。幼少期はサッカーをやっていたが、ハードルの選手だった母の勧めで小学校3年から陸上競技を始めた。中高一貫校の城西中学に進学後は陸上部で活動したが、身長も160センチ台で目立った成績は残していない。中学3年になった頃から身長がグングン伸び始め、現在は187センチ、74キロという堂々たる体格。今も身長は伸び続けているそうだ。同校でサニブラウンの指導をしているのは、2000年シドニー五輪の400m代表の山村貴彦コーチ。山村コーチは「選手を追い込まず、伸び伸びとやらせて成長を見守る」のが指導方針だそうで、サニブラウンに対してもフォームの指導などはあまりしていないという。世界最速男ウサイン・ボルト(ジャマイカ)が同じ16歳の時に世界ユース陸上競技選手権で記録した20秒40を0.6秒上まわった。

サニブラウン

女子バレーボールでは17歳で全日本入りを果たした宮部藍梨がいる。ナイジェリア人の父と日本人の母を持つハーフで、181センチの身長があるうえ、驚異的なジャンプ力を持ち、次代の日本のエースになると目されている。

Jリーグにもハーフの選手は多い。日本代表のDFで現在ドイツ・ハンブルガーSVに所属する酒井高徳は父がドイツ人、母が日本人。弟の宣福もJ2福岡、高聖もJ1新潟に所属している。横浜Fマリノス、FC東京、セレッソ大阪でプレーし、現在はスペインのレアル・サラゴサに所属する長谷川アーリアジャスールは父がイラン人、母が日本人。高い身体能力で今後が楽しみなハーフJリーガーもいる。まずJ1新潟からJ2水戸へ期限付き移籍中の鈴木武蔵。ジャマイカ人の父と日本人の母を持つ鈴木はU-19、U-20日本代表FWとしてプレーし、2013年の東アジア選手権では3試合で3ゴールをあげる活躍を見せた。J2千葉のFWとして起用されるようになったオナイウ阿道はナイジェリア人の父と日本人の母を持つ。

プロ野球ではダルビッシュ有。イラン人の父と日本人の母を持つハーフであることはよく知られている。

長距離界にもハーフの有望選手がいる。昨年8月、中国・南京で行われたユース五輪の女子3000mで優勝した高松望ムセンビ。ケニア人の父を持つ高松は中学時代から都道府県女子駅伝などで活躍してきたが、高校生になった今も順調に競技力を伸ばしている。妹の高松智美ムセンビとともに日本長距離界期待の星だ。

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大相撲界の有名人のお父さんは

第69代横綱白鵬(本名:ムンフバト・ダヴァジャルガル)は、 父がレスリング選手でオリンピックの銀メダリストだという。 大相撲で、肉親が五輪メダリストだという力士は日本人でも聞いたことがない。

日刊スポーツ18年3月28日付けの「新大関誕生」のコラムによると 『父ムンフバトさんはモンゴル相撲で6度の優勝を果たした元大横綱。 元関脇だった朝青龍の父には生涯無敗だったという。 レスリングで64年東京大会から5大会連続で五輪に出場し、 68年メキシコ大会では87kg級で銀メダルに輝いた。 モンゴル初のメダリストとなった国民的英雄だ。

白鵬2

第68代横綱朝青龍(本名:ドルゴルスレン・ダグワドルジ)の父はモンゴル相撲の関脇。兄のスムヤバザルはオリンピック・アトランタ大会、シドニー大会のレスリング競技のモンゴル代表選手である。
2005年の九州場所で史上初の7連覇と年6場所の完全制覇を達成、またこの年の年間勝ち星を84とし、北の湖の記録(82勝、1978年)を27年ぶりに更新した(2009年に白鵬(はくほう)が86勝をあげて記録は更新された)。2010年2月引退。幕内優勝25回、幕内通算成績596勝153敗76休。

朝青龍

父親がすごい能力を持っていてその血筋を引いて大きな成績を収めているという感がありますが、当然素質だけでは成績はついてきません。本人の血のにじむような努力の結果が今あるのだと思います。

松井秀樹選手や錦織圭選手のお父さんは

プロ野球で元ヤンキースの松井秀喜選手のお父さんはどうだったのでしょうか。

松井秀樹

松井秀樹選手は石川県根上町出身で、小学校5年から少年野球チームに入る。 星陵高校3年では春、夏甲子園に出場、春は3本塁打を放ったが、夏は5打席連続敬遠され話題を呼んだ。 ドラフト1位で巨人へ入団。1年目から1軍で3番を打った。お父さんと、4歳上の兄、利喜さんがキャッチボールを始めると、幼いころの秀喜選手は、その輪の中にいつでも入ろうとした。「親は子どもの遊び相手、スキンシップが重要」と 2人の男の子をお父さんが主導権を握って教育した。お母さんはいつも、その後ろから子どもたちを優しく見つめてきたとのことです。 「勉強をしなさいって、一度も言ったことないんですよ。勉強のことは、学校の先生が教えますから。 親は、違ったことを言わなくちゃ、と思っているんです」とも言っていたそうです。

松井父子のことを一番よく知っている星陵高校野球部の山下智茂監督は こう語っているそうです。

「松井秀喜ほど家族と友人を大切にする男を見たことがありません。彼は現代の若者に欠けた日本人の美質を持っています。そんな松井秀喜をつくったのは、お父さんの昌雄さんです。やさしいけど、厳しい方ですよ」お父さんの昌雄さんは、いつも子供たちを独立した人格をもつ人間として接し教育してきたそうです。 松井秀喜選手を「秀さん」、4歳上の長男・利喜さんを「利さん」と呼んでいたそうです。 その教育も、もとはと言えば、昌雄さんの亡き母・松井みよさんの言葉がベースとなってとのこと。

「子供というのは、あなたのものだけど、あなたのものではない。神様から預かったもの。だから、気を張って育てなきゃいけません」

その昌雄さんは、松井選手がプロに入った2年目から10年間、息子にFAXを送り続けた。その数、実に178通。いつも松井選手の心の支えとなったのは、父親、時には母親からのFAXだったとのことです。

やっぱり親の力はすごいですね!なかなか出来ませんよ。

テニス界のヒーロー錦織(にしこり)圭選手のお父さんはどうだったでしょうか。

錦織圭

生まれたのは島根県松江市。父の清志さんは森林土木関係の技術者、母はピアノ講師。大学時代、テニス同好会に所属していた清志さんが軽い気持ちで贈ったおもちゃのラケットで遊び始めたのが5歳。市内の「グリーンテニススクール」に通い始めると、コーチはその非凡さに目をみはったという。

コーチ曰く

「圭はスイッチを持っているんです。コートの外では本当に穏やかで優しい子。それが試合になり、『絶対に勝つぞ』というスイッチが入ると、ものすごい集中力と負けん気が顔を出す」

負けず嫌いは、テニス以外でも健在で、例えばテレビゲームでは勝つまでやりたがった。才能と勝利へのこだわりが上手に噛み合い、島根はもちろん、国内でも知られる存在となっていったという。

家族も、錦織選手を試合以外でも積極的に外へ出した。松岡修造さんが主宰する合宿「修造チャレンジ」に参加すると高校生に勝った。海外遠征の話があれば行かせた。

錦織選手はソニー創業者の実弟で、元副社長の盛田正明さん(87)が私財を投じて創立したテニスファンドの選抜審査を受け、強化選手に選ばれる。金銭的な援助を受け、米フロリダ州のテニスアカデミーへの留学が決まった。中学2年生、13歳のときだ。このときのことをお父さんの清志さんはAERAの取材に、

「義務教育の途中でっていう不安はありました。でも、(中略)中卒だっていいと思ったし、リスクもある一方でテニスでトップになるには大チャンスだと思いました」

長男の才能を誰よりも信じ、全力で応援していたことがよくわかる言葉だ。さらに、どんどん外へ出ることが「当たり前」になっていた。

チャンスをどう掴むか、親の判断も重要!親もプレッシャーですよね。

遠藤聖大のお父さんはどうでしょう

小学生になったのを機に、体と心を鍛えるために武道をやらせようと、穴水少年相撲教室の指導者の方と知り合いだったこともあり相撲を選んだとのことです。柔道でも剣道でもよかったが、たまたま相撲だったようです。本人はそうとう嫌だったそうですが、お父さんが車で送り迎えし、心を鬼にして続けさせたとのことです。相撲以外のスポーツも好きで、テニスやバスケットボールをやっていたそうです。バスケットは小学生の部活動でもやっていて、小6の時には町の大会にキャプテンとして出て、優勝してMVPになったそうです。水泳もスイミングスクールに通っている子に負けないくらい早く町の大会でも上位に入賞していたそうです。

遠藤聖大学生

小学校6年生だった遠藤聖大は自らの意思で「相撲留学」を決意したそうです。親元を離れ、金沢市立西南部中学校に進学。同市内の西南部相撲道場で指導する山本さん宅に下宿しながら、稽古に明け暮れたとのことです。

本人の決断もすごいですが、錦織選手の例のようにお父さんの判断力と行動力がものを言うような気がします。

お父さん自身は小学生の遠藤聖大を強制的に相撲の世界に導きましたが、あとは本人の意思を尊重し進みたい方向に対し支援していった感じがします。

遠藤聖大本人の一途な性格、負けず嫌いな性格を意識してか上手く力を発揮さるよう導いたと思います。

本当に普通のお父さんみたいな感じですがすごいです!

また情報が入りましたら更新したいと思います。

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